2021/03/11

 十年前の今日は大学受験の後期試験のために昼ごろ東京に着いて(それも前期試験の合否発表が前日で、だめだったから急遽その日のうちに航空券の予約をして、つぎの日には向かうというのだから、いまおもうとおそろしいスケジュールだ)、前期試験のときとはちがう会場のすぐちかくにあるホテルにおそらく荷物だけ預けたまま、大学がすぐ近くにあるからいくつかある古本屋のひとつにはいって、たしかなにも買わずにホテルの部屋にもどってきて一息ついたくらいで地震が起きたんだとおもう。

 まだそのころはLINEなんてなくてだれかと連絡するときにはきほんメールだったから(あのころは年が変わった瞬間にメールをしようとすると通信が重くなってちょうど0時0分に送るなんてことができなくて、送れないのを見越して数分前からメールの送信を連打しておく、みたいなへんな駆け引きをしていた。あとメールが来てないか何度もセンター問い合わせを連打していた。そういう時代)、地震発生直後からケータイがなんの連絡も受け付けなくなって、ホテルの外に出たほうがいいのかなにもわからないまま部屋にいて、テレビをつけて、なんの連絡もとれないケータイ(もうスマホだったかもしれない)をひたすら連打していた。

 そのときのことをおもいだすたびに、なぜかかならず地震発生時刻には古本屋にいた、と勘違いしてしまうのだが、じっさいにはもうホテルの部屋にいて、あのとき古本屋にいたままだったら本が降ってきたりして大変だっただろうな、と何度も考えるからそうなってしまうのだとおもう。

 前期試験に落ちていたことがわかって、なにもかも落ち着かないまま翌日には東京にいて、そのまま地震を経験したことの動揺と、じっさいの揺れとを重ねてあの日は人生の一大事だった、と付会することも何度もある。結局、翌日の後期試験にも落ちてしまうし、その日のことはほとんど覚えていない。けれどその日のことを漂白されたような、感情的負荷のかからない日としておもいだせてしまうのは、受験の合否といういたって個人的なことがらに沈んでいく気分が、他人事であることを許さないような津波の映像と被災状況によって引き上げられ、生かされているように感じているせいかもしれない。

 きのうの朝がた、玄関のほうからずっと騒音がしていて、その日の夜、アパートに帰ってきてようやく、それがアパートの外灯を付け替えていた物音だったと気づいた。世界でいちばん明るい場所である夜のコンビニとドラッグストアくらい明るい。その明るさはきのうまで点いていたはずの外灯の印象を打ち消すほど明るくて、きのうまでのアパートがどれくらい明るかったかをもうおもいだすこともない。東京に引っ越してきてからいままでずっと住んでいるこの街のむかしの姿も、もうおもいだせない。